19 ポポロの愛し方

ポポロに対する立場について、今まで色々なことを言われてきました。「ポポロならなんでもいいと思っているのですか?」「盲目的になってはいませんか?」「ポポロの信者?いやいや、それを通り越した狂信者じゃないの?」などなどエトセトラ。こういうことを言われるとむしろ「いやはやそう思っていただいてありがとうございまーす」と喜んでいるくらいなので、このことについて怒ったりとか落ち込んだりといったようなことは一切ないものの、「そういう愛し方をしているわけじゃないんですよぅ」ともどかしさを感じているのもまた事実、この点について私が思うところをまとめてみることにいたします。
例えば、自分に子供が5人いるとします。子供では想定しづらいようであれば、大好きなペットが5匹いることを考えてみてください。パグが5匹もいたらそれだけでもうゼーゼーハーハーと涎ため息ものとなること間違いありませんが・・・と脱線しそうになるところはひとまず右に置いておくとして。ではその5人(もしくは5匹)に好きな順に順番をつけてみなさい、と言われたらどうでしょう?そんなことはきっとできないと思うんですよね。それぞれに順番など付けられるはずもなく、等しく愛しいものすから。それぞれに性格などの長所・短所がありますが、それらを全て合わせたものが「個性」と呼ばれるものです。いいところも悪いところもぜーんぶひっくるめたありのままの「個性」を優劣で区別することなく同じように愛します。自分の子供の好き嫌いの順番を付ける親はいません。父親と母親に好き嫌いの順番を付ける子供もいません。ポポロについてもまた然り。
ということで、なんでもいいとか盲目的だとか狂信者というスタンスではないんですよね。だから「ポポロの作品を好きな順番に並べてください」と言われてもその問に対する答えは私の中には存在しません。等しく一様にポポロを愛する、これが一番自然で当たり前のスタンス、まさしく「ぱぐ流」なのでありました。