4 デジカメとアルバムの功罪

デジタルカメラが爆発的に普及したおかげで、写真が非常に身近な存在となり、気軽に撮影ができるようになりました。それ自体は決して悪いことではないんですけれども、気軽になりすぎてしまったような気がするんですよね。 ひところ写真といえばフィルムを買って現像に出してまたそれを取りに行って・・・と手間がかかるもので、おまけに上がってきた写真を見たら思ったように撮れていなくてガッカリだった、なんてことがしばしばありました。それを考えるとフィルムも現像も不要で、撮った写真をすぐに見ることができるだけでなく、その場で出来上がりを確認して撮り直すこともできてしまうという手軽さがデジタルカメラの魅力・長所です。
いいこと尽くしで悪い点など1つも無いように思えるんですけど、そのために「なんでもかんでも気軽にまず写真」という姿勢になりがちなところが気がかりなんです。 写真が身近でなかった時は、当たり前のことですけど、目の前に広がるその時の情景・光景は自分の記憶や心の中にのみ残るものでした。それを写真で手軽に残せるようになったことから、心に残すよりも先に写真に残すことに重きを置くようになってしまったのではないのかなぁという気がします。写真を撮ることに気をとられて肝心要の「その時間を楽しむ」気持ちが置き去りにされてしまう一面があるでのはないかと。思い出は心に刻むものであってデータに刻むものではありません。写真はあくまで心に刻んだ思い出を喚起するための手段です。その手段に気を取られてしまうがあまりに、本来の「思い出」という目的が後回しになってしまったのでは本末転倒と言うより他はありません。もう少し写真を撮るという姿勢について見直さなくてはいけないなぁと自分自身深く反省・・・。
実はポポロ2、ポポまりに付くようになったアルバムについても同様なことを感じています。アルバムのおかげで見たい場面をいつでも見ることができるというのは非常に便利です。しかしその便利さのために心に隙が生じてしまうのではないかという懸念があります。気軽に見ることができないからこそ、その一瞬一瞬の場面に対して真剣に向き合うこととなり、その場面をより一層深く心に刻み込むことができるのでは、との思いがあります。アルバムには、「また後で簡単に見ることができるからいいや」という心の隙・油断を生んでしまう危険性を感じずにはいられません。だから常に一期一会の気持ちで作品に向き合うことができるように、アルバムは一切使わないようにしています。見たい場面があるならまた一番最初から始めて、話の流れの中でその場面と向き合います。時間も手間もかかるかもしれませんがそれが自然なもの、というこれまたポポロに対する1つのこだわりがあるのでありました。