164 月の掟に物申す

2004年5月15日

 3月18日に発売された「月の掟の冒険」、冒険を通じる中で気になった点、こうだといいなと思った点がありましたので、その辺りをまとめてみます。ぱぐなす帳の「13 システムへのこだわり」に書いているとおり、「物語を楽しむ上でひっかかってくるゲーム的なシステム」についての意見になります。

1 メッセージの共通化

今回の「月の掟」の中で、これが一番気になった点でした。「月の掟」では、ピノン、ルナ、マルコ、エレナ、ガミガミ魔王、モンバの6人でパーティを組み替えながら冒険を進めるわけですが、同様にパーティの組み替えができる「ポポローグ」と「ポポロ2」とは大きな違いがありました。それは「一番先頭のキャラが入れ替わる」ということです。ポポローグとポポロ2では必ず先頭はピエトロだったわけですが、今回はパーティの組み方によって誰もが先頭に持ってくることができるようになりました。そしておそらくはこのためなのでしょうが、誰が先頭に来ても大丈夫なように物を調べた時のメッセージが共通化されてしまいました。これによってどのような弊害が起きてしまったのかと言いますと、例えばピノンが石になってしまったピエトロやナルシアに触れた時に表示されるメッセージが「石になったピエトロだ」「石になったナルシアだ」となり、マルコが石になってしまったレオナに触れた時も同様、「石になったレオナだ」というメッセージが表示されてしまうんですよね。この点、どう考えても合点がいきません。ピノンがピエトロやナルシア、マルコがレオナを名前で呼ぶはずはなく、それぞれに「おとうさん、おかあさん」「かあちゃん」と呼んでいるのですから。
さすがに全てのメッセージを、先頭に誰が来るかによって内容を変えるのは難しいことは分かりますが、それでも汎用性のために具体性が消されてしまってはシステムの都合が物語に影響を及ぼしてしまいかねません。メッセージを共通化して大丈夫なところと共通化すべきではないところがあるのではないか、と感じずにはいられなかった次第です(ポポロ2で、ナルシアが世界を巡る際には一部メッセージが変更されていたという前例がありますし)。

2 ゲームオーバーの扱い

ポポロがもちろん「ゲーム」であることは百も承知してはいますが、それでもやはり「物語主体」の作品なんですよね。プレイステーションドットコムの紹介の言葉を借りれば、まさしく「お話のポポロ」。なので「GAME OVER」という表現はいかがなものかと抵抗を感じずにはいられません。ポポまりの時のように何も表示されることなく画面がブラックアウトしてタイトルに戻る、というのもやはり抵抗があったわけでして、こういうことを書くと「じゃあ、どういう風に表現しろっちゅうねーん!」とのお叱りが飛んできそうではありますが、例えば「風のクロノア」という作品でゲームオーバーになった際「VISION OVER」との表現が用いられたように、何かこう別の言い表し方、表現の仕方がないかなぁと罪悪感を伴いながら感じました。

ここから下は要望意見

3 字幕

これについては要望となりますが、イベント画面で表示される字幕、これオン・オフ選択できるようになることを望みます。聞くよりも先に言葉が全て先に表示されてしまい、それを読んだ後に聞く、ということになってしまってます。やはりじっくり物語を深く味わう上で、字幕が表示されない方が没頭できることもあるんですよね。

4 戦闘画面

無謀な要望であるのは間違いないですが、戦闘画面はポポまりの時のように、戦闘ごとに違ったカメラワークで見られる方が、バラエティに富んだ技の数々を色々な角度から楽しむことができて、輪をかけて戦闘が充実します。「そんなことしたらデータが重くなって読み込みに時間がー!」と相反するところが出てきてしまうので、非常に難しい部分ではあると思いつつ。

5 せっかくなので

今回読み込み中にはピノン達のイラストを見て楽しむことができるようになっているわけですが、せっかくのイラストなので「読み込み中に表示されたイラストアルバム」なんてものがあれば、ロードの度にアルバムが埋まってゆくこととなって、ロードそのものが楽しみの1つに転化できるのではないかと思います。中には非常に1万回に1回という、まれにしか表示されないイラストがあったりするとそれだけでロード時間がハラハラドキドキものになるのではないでしょうか?

「フリックが難しい」「戦闘が難しい」との意見もありますが、私としてはそういう状況すらも冒険の一部として楽しみましょう!と考えています。確かにフリックは馴れないと大変です。手間もかかります。でも大変だと思っているのは自分だけじゃあないんです。試練の洞窟の中で、トーテムポールをフリックで元通りにする、という謎が突きつけられた時「うわ、フリックで高さも場所も合わせなくちゃいけなくなるとは・・・面倒くさいことになるぞー」と確かに思いましたが、まさにマルコも「なんか面倒くさそうだな」って言っているんですよね。ほーら、ここでものの見事に気持ちがマルコとシンクロしました(笑)。そんなわけでフリックにしても戦闘にしても「ゲームのシステムとして難しい」と考えるよりも「冒険の一部として難しい」と考えた方が面白いんじゃないかな、と思います。